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『死ぬときに後悔すること25』

死ぬときに後悔すること25死ぬときに後悔すること25
(2009/05)
大津 秀一

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==読了日 2012年3月8日==

TV「エチカの鏡」を見たのをきっかけに購入しました。しかしTVでは、取り上げられた方の生き様や後悔が、演出を加えて表現されていました。そのせいか、本の中身が”後悔”や”悲嘆”といったやり切れなさに満ちたものに思えて、しばらく”積読”状態でした。2年ほど寝かせて、最近ようやく手に取り読了しました。
緩和医療医師として経験した「多くの人の最期」から得られた見識は、一種の人生の哲学とも捉えることができました。
また、文章の端々に、若い医師とは思えない重みのある言葉が使われていることに、少々驚きました。
人生の最期にたくさん立ち会った経験から、紡がれたのか?ご本人のもともと持たれたいた感性からなのかは、分かりませんが、こういった文章を読むと、少し”ホッと”します。

本の内容から、自分の琴線に触れ考えたことを書き記します。 

 健康・医療編から

人は、病気になることは、避けれない。
ならば、早期に発見する行動をするべきというのは、医師らしい的を得ている考えだと感じました。
病気にならないことへの関心は持っていても、早期に見つけることにはさほどの関心は払っていないと思います。
これだけ、寿命が延びた世の中で、病気になる確率は、むしろ高まっているという認識の方が正しいような気がします。
 例えば、ガンは、細胞がコピーされる時のミスコピーが原因だから、長く生きれば、
 そのリスクは、一層高まるという考え方は納得できます。
会社の定期検診は、受けているもののそれ以上のことはしていません。
人間ドックとか、受けること考えてみないといかんかな。

今をどう生きるかを考えることが大切だけど、
将来のリスクをどれだけ考えて、今を生きることを考えて行動することが、さらに大事だと思いました。

 「あれだけ健康に気を付けていたのに、なぜ病気になったんだろう」と嘆くより、
 著者のいう「病気になる前提で、早期発見する」ことを考えた方が、
 本当に”今を生きている”ことになると思った。

 心理編から
 
   自分のやりたいことをやらなかったこと
    かなりの方が、自分のやりたいことをやらなかったことを後悔されるとあります。 
    これは、多くの方に共通する後悔の様に思います。
    それだけ、人間は、自分がやりたいことをやらないで生きているのかもしれません。
    
    「自分は、やりたいことを我慢してがんばった!」ことを認められたいというのが、
    日本人固有のメンタリティーのように思います。
    しかし、実際、そうしたことに「よくやりましたね」「あなたの、おかげです。感謝しています」
    と本人を”認める”という風習、風土が希薄になっているのかなとも思います。

  ”やりたくてもできなかった後悔”をしないためには、
  ・世の中に名を残したいのなら、今からすべきである。
  ・新しい恋に生きたいのなら、今すべきである。

     やりたいことをやるには、今やるしかない!

    予定調和ばかり気にして、周囲と和することで、空気ばかり読んで生きるか?
    他人に迷惑をかけない程度に、もう少し好き勝手に生きてみるのも良いと思われるというのが、
    この著者の終末医療の経験からの言葉です。
    「やりたいことは、さっさとやるべきなのだ。」

  自分の命が、あと僅かだと知ると、それまでの自分の生き方を良しとせず、何かに突き動かされると思います。
  黒沢明監督の「生きる」を、思い出してしまいます。

  死を意識して、今やることを考えるとなると、ハイデッガーの実存主義みたいになるけど、
  常に、何かに突き動かされて、生きていたいですね。


   夢をかなえられなかったこと
    若い時に比べて、年齢を重ねてしまうと、夢は叶えられるという万能感が、消えていくといのは実感します。
    老いながら、少しずつ可能性が削られていく。
    それでも、諦めず「続ける」ことだけが、夢に近づくただ一つの方法に違いはないのだが。 苦しいね!


   感情に振り回された一生を過ごしたこと
    多くの方が、”平静の心”を持てなかったことを後悔されています。
    死を前にして、ようやく人間は達観の域に達することができるなか?
     本文中より
    「今考えると、なんであんなに泣いたり、あんなに怒ったのかわかりません」
    「・・・・・・・どういうことですか?」
    「つまり、私がこれまでぶつかってきた障害なんて、実はたいしたこものではなかったということです。 」
    「たいしたものではなかった? 」
    「そうです。死ぬことからすれば、そんなことなど、泣いたり怒ったりするほどのことではない。」
    「・・・・・・・・」
    「あれこれ心を惑わせすぎたたような気がします。今のこの心境をもってすれば、
     もっと冷静でいられたものを」
    「なかなか難しいものですね」
    「そうです。ただ皆がこうやって死んでいくもの。
     だから誰かを恨んだりうらやんだりするよりは、ばかばかしいとはっきりわかりました。
     或いは誰かををねたんで足を引張ったりすることも」
    「ええ」
    「だって誰もが天に帰るのだから。誰もが土になるのだから。皆同じ。
     それを知っていれば、私はもっと穏やかに生きられたと思うの」

    
こんな心境にたどり着くまで、人間は、一生を必要とする愚かな生き物なんだと思いつつも、
    先人の気持ちに触れ、達観への境地への歩みを踏み出したいものですね。


    他人に優しくしなかったこと
   人に優しくしなかったことを後悔するというのは、後悔の中でも、特に人間らしいものだと思います。
   
   ”優しくする”というのは、なかなか難しいことですね。
   「優しいって」どういうこととすぐに、私たちは”問う”てしまうところがあります。
   昔、女の子から「あなたのは、やさしさじゃない」とか家人から「優しくしているつもりでしょうけど、間違ってる」
   など、散々な言葉を浴びせられてきたので、自分が優しい人間かどうか、定義づけできない状態です。
   偽物の優しさしか発揮できない自分を下等な人間だと思ってしまいます。   
   
   同情と共感は、違うということは、以前「男と女のコミュニケーション」セミナーで教わりました。
   共感することができて、初めて相手の立場になって、考え、言葉をかけることができます。
   
   
著者も書いていますが、安易な慰めや励ましは、逆効果となることが、往々にしてある。
   基本的には、傾聴し、しかし時宜を得て、共感の思いを赤心から発しなければならない。
   とはいえ、共感するだけの優しさではダメ、時には、毅然として良い方法を示すことも必要。
   厳しさも、優しさとなる。

    自分が一番と信じて疑わなかったこと
   ここでは、「耳順」という言葉を、初めて知りました。
   人の言うことに、心から耳を傾けることだそうです。自分勝手な考え方を卒業し、
   バランスの取れた質の高い考えに到達するためには、”人の言うことに耳を傾けるべきですね。

   この言葉は、孔子の”論語”の中に出てくるものだそうです。
    「子曰く、吾れ
    十有五にして学に志す。
    三十にして立つ。
    四十にして惑わず。
    五十にして天命を知る。
    六十にして耳順がう。
    七十にして心の欲する所に従って矩を越えず踰えず」

 社会・生活編
    仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
   仕事命だったある末期がんの患者さんは、息が苦しくても仕事に行くことを希望し、
   体力が落ち歩行が困難になっても、復職を望んだそうです、それがすべてかなわないとわかった時に
   別の生の楽しみを見出そうとしたけどできなかったと、、、
   仕事以外の自分の引き出しを持つことが、大切と説いています。
   
   最近は、仕事命の人を、周りでも見かけなくなりました。特に若い方はそうだと思います。
   ただ、この様に生きる楽しみとして自分の手元に置けることが、どれくらい今の人生で
   身に付いているかと考えると少々寂しい気がします。
   「時間を忘れることができる」「あるいは、もっと時間があれば」といつも渇望していることがあるかですね。
   やはり、年齢を重ねることを考えると、自分の体を使うことではなく、
   頭や手先を使うことを見に付けておくといいのかと考えます。

 人間編 
    会いたい人に会っておかなかったこと
   あの人に、もう一度会っておけばよかったと後悔する。
   かつて、その人と過ごした時間が貴重なものだからでしょう。人との出会いは、全て一期一会と思いましょう。
   
   今を、そしてこれからを生きていこうとする人間にとっては、
   「人との出会いを、めんどくさがらないで、一期一会で接していきましょう。さらに、貴重な経験が積めますよ。」
   といってもらっていると考えてみたらと思います。 


    記憶に残る恋愛をしなかったこと
   「本来、自分のことが一番好きであるはずの人間が、他者を己より大切に思うとき、本当の愛が生まれる。」
   しかし、キレイごとだけでは終わらず、感情のぶつかり合いの末、崇高なものに昇華した時 ”愛”と呼べる。

 宗教・哲学編
    自分の生きた証を残さなかったこと
   「自分の生きた証の残し方」は、人それぞれにある。

   かつては、本、俳句、詩集といったことが、今ではブログやFaceBookのようなSNSになっている。
   以前より、残しやすいと思える。ただ、自分が”納得した何かを残したい”と思う。

   本の中でも触れられていますが、肉筆の手紙は、メールなどの文章と違って、
   本人の人柄、その人のいた情景を思い起こさせる力があると。
   大切な人には、自分の肉筆で残したいですね。
   

    生と死の問題を乗り越えられなかったこと
   「マイ哲学」を確立する。
   自分の人生を貫き、築き上げた考え方、価値観をしっかり持てていたか否かで、後悔してしまうという。

   いかようにも人間は生きられると思うが、誰しも、その行いに自身の価値観の裏付けがほしいと願う。
   「私は、これだけは大切にしてきた。」といえる何かが、自分にあるだろうか?自問しなくてはならない!


    神仏の教えを知らなかったこと
   世界で、”死”を一番恐れているのは、現代の日本人だと言われています。それは、”来世”とか”生まれ変わり”という
   概念が希薄な世の中になったためだと言われています。
   
   科学的に”来世”や”生まれ変わり”を証明している方も、
   僅かにいらっしゃいますが、やはり自分の考え方次第だと思います。
   「今回の人生では、だめだったが」「次の人生では、やってみよう」といった達観した考え方に、たどり着ければと思います。

  最終編
    愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
  最後に、この言葉が言える心境に到達できるのだろうか?


  本のタイトルからは、想像出来ない、人間として如何に生きていくかを
  考えさせる内容でした。今を、生きている人達に向けられて言葉だと思います。
 

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ (角川文庫)

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  (2006/06)
  すずらんの会

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 =読了日:2010年11月21日=

自分の命を電池の寿命に例えた”詩”は、切ない。
巧みな言葉遣いは、一切ないところに、子供の心が剥き出しになっていると感じました。
子供の方が、みずみずしい感性を持っているという考え方もあるでしょうが、
きっと、子供は、”心の中”にある感情や気持ちを、何にも包まず、出してくるのだと思います。
一方、大人は”心の外”にある気持ちや感情を最初に表出させ、場合によっては、
それが自分の本心であるかの様にふる舞うのだと思います。
子供同士の方が、心を早く通わせれるようになるは、そのせいだと思います。
この本の中に出てくる子供たちの何人かは、現在に命を繋ぐことができなかった。
短く生きるということに意味や価値を求めようともがいているのは、周りの大人なんだと思います。
長く生きたことのない子供には、自分の命の短さに、大人のような感覚を持っていないようにも感じられました。
周りの大人は、大人の考え方で、子供の気持ちを推し量ろうとしては、いけないと言われているように感じました。
それにしても、幼い、小さな者たちの”心の中”を見せられると、気持ちが揺さぶられます。
「生き直そう」と思い立つのは、軽薄なんでしょうかね。


テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

tag : 電池 寿命 子供

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Author:トホトホWALKER
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