FC2ブログ

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』



村上春樹の長編を読んだのは、久ぶりでした。
また、村上作品も「東京奇譚集」とか「神の子どもはみな踊る」といった短編を読んで以来でした。

色彩を持たないという意味が、主人公とその友人たちの名前に由来しているというのは、
表面に見えている物語の外形にすぎないのでしょう。主人公が人生や人間関係に色彩を持たないという
意味合いがあると浅学の私は、簡単に考えてしまいました。
きっと専門的にというか、村上氏に詳しい読書家の方は、さらに鋭い切り口のでみられているのだと思います。
どこまでその作品の深さを測りとれるかは、読者の人格、知識、社会経験によるもの
だと思います。読書会をされる人がいますが、本来的には、この知識、経験を補い違う
価値観を手に入れるために機能させるを目的にしているんだと推察します。

読書会、またやりたいな!

(2016年38冊目)

おわり

テーマ : 読んだ本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)東京奇譚集 (新潮文庫)
(2007/11/28)
村上 春樹

商品詳細を見る

2014年の55冊目です。

村上春樹の短編集です。
並行して、浅田次郎の小説を読んでいたので、村上作品との違いを不見識にも考えて見ました。
どちらの作品も人間の心の機微を捉えていることに違いはない。
しかもその捉え方の”粒度”は同じぐらいの大きさに思えるが、その”粘度”に大きな違いがあるように思います。
村上春樹の小説の中の機微という粒子を掌ですくい上げると、サラサラと零れ落ちていく感じですが、
浅田作品では、その粒子が水滴のように掌を濡らし留まっている感じがします。
私は両氏の作品をたくさんしかも昔から読んでいないので、見当違いの事を書いているかもしれません。
さてこの作品『東京奇譚集』は、「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」
「日々移動する腎臓のかたちをした石」「品川猿」という5つの短編から成っています。
奇譚というと少々怪奇なお話を連想しますが、むしろ”奇妙な”とか”不思議な”といった感じです。
現実世界を構成するパズルの一部が全くの異境の空間や生き物で構成されていることに
私たちは気付かず生きている気がします。その異境の世界やものたちとのやりとりを通して、
自分自身の(読者自身)の価値観や世界観へ揺さぶりをかけているような気がします。
一つ一つの話しに村上春樹自身が強烈にメッセージを発しているとは思えませんが、
読者の常識的価値観にノックをしている感じです。
例えば、「それは本当に大事なことですか?」とか「あなたの生きている意味ってなんでしたっけ?」
といった感じがします。むろんそれらへの正解は誰も持ち合わせていません。
象徴的な作品は「品川猿」という作品です。猿が人の名前を盗み言葉を話します。
それを当然のように受け入れて話が展開していきます。
前短編集「神の子どもたちはみな踊る」の”かえるくん、東京を救う”という物語を想起させました。

おわり
プロフィール

トホトホWALKER

Author:トホトホWALKER
性別 男性(家族有)

職業 サラリーマン
居住地 西日本の地方都市

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター