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『土の中の子供』



虐待の末、埋め殺される経験を持つ「私」の話。
内容の重大さに比べて、文庫本の帯に巻かれている
「この本はヤバすぎる!」という言葉は、あまりに稚拙に感じる
「ヤバイ」という言葉の持つ意味の時の流れに伴う変化は、
それなりに知っているつもりですが、、、、。
文学的に素晴らしいとか、考えさせられるとか、
人間の内省的な面を抉り出しているとか、そういった評価を表現しているのか?
ちょっと「ヤバイ」では、内容と不釣り合いな言葉だと感じました。
短絡的に、危険だとか、重たいとかといった意味かな?
それとも、今様だと解釈すると「すごい」「素晴らしい」ということかな?
やはり、どちらも当てはまっていない気がする。

私がこの文庫本の帯を考える担当者ならなんとつけるだろうか?
「暗然たる再生」「黒の中の恐怖」とかかな?いい言葉思いつかなけど、
”ヤバい”とか”すごい”という質の言葉では、捉えられない深層的で輻輳した心情が
描かれている。
暴力、虐待、孤児、犯罪、恐怖、SEX、死、殺人、狂気、不条理、これらの非日常世界の感覚の中で、
人が何を感じ、どう考え、己を認識するのか?
それは、真実の自分か?本質的なものなのか?

人の心の深部を抉り取るような文章は、他の作家ではあまり読むことがありません。
過激な描写という点では、村上龍の小説に似ている感覚も受けますが、
自らも知らない深部に入り込む感じは、やはり中村文則氏独特だと思います。
救われた感覚は得られないし、すっきり感も全くない、
どちらかといえば暗らく辛い内容です。
私たちの普段の生活で、心の深部に切り込んで考えるような体験をすることはありません。
身近な人の予期せぬ死とか病気、大きな喪失を味わった時など
いずれも非日常に身を置くときに心に割れ目が入って、
深部にあるものが覗き見れるような気がします。
普段の暮らしの中で出くわす些細なことに一つ一つ丁寧に向かい合うことが、
凡人にできる精一杯のことのような気もします。

おわり

私たちは本質とは、そこにあるのか?

テーマ : 読んだ本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

王国


ここ1年の間に、4,5冊の中村文則作品を読んだ。初めて読んだ作品が、「掏摸」でした。
今回読んだこの「王国」という作品は、その姉妹作という位置づけです。
主人公の女性がその心と生き様のすべてを支配されていく感覚で、物語が進んでいきます。
なぜ、ここ最近中村文則の作品を読んだのかな?
この数日間、何冊かの本を読みながらふと頭に浮かんだことは、
物語の最後は、救いや再生や癒しが必要なのか?という考えです。
ほとんどすべての書物(少なくとも書店で人の目に触れる場所の並んでいるもの)は、
救われる、感動、涙腺崩壊、癒し、再生の物語といった帯がついています。
「この物語には、なんの救いもありません、人間の再生など描かれていません」と書かれているものがないです。
多くの人に、再生と救済の物語がくっついた人生があるのでしょうか?
たぶんそんには、ないでしょう。
無いというか、あるのかないのかといった思考をすることもなく、
苦痛や病、老いの中にいる自分と向き合って、ただ生きているというのが多くの人の人生にも思える。
この中村文則の作品には、ほとんど再生する人や救済される対象が見当たりません。
描かれている情景は、かなり非現実的な世界ですが、
人はそう簡単に、再生したり癒されたり救われたりしないという視点での人間描写は、
肯定される面があると感じます。そこに、共感を感じる人が、彼の物語に惹かれるのではと感じました。

(2016年、47冊目)

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『世界の果て』



2016年、12冊目です。

これも入院期間中に読みました。中村文則の初の短篇小説です。

最後の「世界の果てに」という作品は、自己破滅的なストーリーで、
自己の存在をどうやって捉えていくのか?が上手くできない物語のようです。
それが、上手く機能的に行えなかった人物の破滅を描いている気がする。
著者のあとがきにも”暗い小説”と書かれている。
何かの救いや、啓示が示されているわけではありません。
こんな暗い小説もあっていいと著者は書いている。
それには、私も同感です。
この小説と並行して読んでいたのが浅田次郎”の短編集なので、
いっそうその存在は相対化され、私の中で増殖してくる。
こういった作風の作家の作品は、数多あるのだろうが、
彼の作品は、安倍公房と村上龍を混ぜ合わせたように感じます。

どこにでもある日常的な風景の中に、忽然と生じる非日常的、非現実的な
出来事。これに対処する人間の内面の変化を通して、
人の心の奥に分け入ろうとする構図のように思えます。

おわり

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『遮光』



2015年の48冊目です。

事故で無くなった恋人が、今も生きているように振る舞い、虚言を呈する若者。
彼の内包している気質は、陰鬱さか?
それゆえに生じる凶暴さと支離滅裂な自己存在の確認行動。
自暴自棄に生きているようにしか見えない。

この小説は、著者のデビュー2作目。著者自身が後書きに記しているが、
これほど破滅的な陰鬱を表現し続けている作品は、最近では少ないという。
実際には、そういった書籍はあると思うが、確かに書店の棚に並ぶものは少ないのだろう。
私自身の少ない読書量の中でも、これに似た作品を読んだ記憶がほとんどありません。
やや、村上龍の小説に似ているところがありますが、村上龍の小説の場合、
主人公が置かれている社会自体が破滅的に描かれている。
中村文則氏のこの作品の場合、主人公を取り巻く環境は、至って普通で、
自分の身近に感じられるものだ。
それゆえに、主人公の”私”の壊れていく様が、際だった”存在感”を放っている。
自分とは、何なのか?

この本の数冊後に読んだ、辻村深月の小説がとても、美しく感じました。

ピース又吉が愛してやまない20冊の中に入っていると、帯には書かれている。

おわり

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『掏摸』


2015年の47冊目です。

掏摸を生業とする主人公の物語です。
サスペンスとかミステリー小説のようにも捉えれます。犯罪小説の傑作とも言われています。
客観的な「悪」をベースに描かれていますが、
主人公の内面の悪と狂気が、錯乱とか破滅に繋がっていきます。
彼が関わる犯罪がストーリーを力強く推し進めていき、加速度を感じる読みごたえがあります。

主人公は、破滅することでしか、自分の存在を確認できないかのような生き方をしていきます。
そして、彼の記憶にいつも浮かび上がる”遠くにある白い塔のようなもの”は、何を意味するのか?
自分が自分を越えた時に行きつける場所ということなのかもしれない。
犯罪組織の首領が「この人生においてもっとも正しい生き方は、
苦痛と喜びを使い分けることだ。全ては、この世界から与えられる刺激に過ぎない。
そしてこの刺激は、自分の中で上手くブレンドすることで、全く異なる使い方をできるようになる。
お前がもし悪に染まりたいなら、善を絶対に忘れないことだ。」と話すシーンがあります。
この小説の根幹にある凍りつくような考え方です。

この首領の話は、この小説の姉妹編「王国」に書かれています。

おわり
プロフィール

トホトホWALKER

Author:トホトホWALKER
性別 男性(家族有)

職業 サラリーマン
居住地 西日本の地方都市

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