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『人間の分際』


2016年の1冊目です。

「やればできる」というのは、とんでもない思い上がりとの厳しい言葉の類が並んでいます。
書かれていることは至極まっとうなことなのだろうが、それを正面切って口にすると、
批判的にみられることが一般的だった。
私が受けてきた学校教育では、「やればできる」と先生や周りの大人から結構聞かされた記憶がある。
でも著者は、その言葉を口にできるのは、努力して成果を出した人、努力して成功を収めた人だけだと。
耳触りの良い言葉で、人を育てる方法が一般的なのだろうが、人生に不幸はつきもの、
努力しても報われないことのほうが多いし、人生はそういったもので作られていると腹を決めて生きることに、
いち早く気付き、その真理を胸に路を歩んだ者のみが、人生を自分の手の内にできるということだろう。
諦観の念を持つということだろう。

おわり

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貧困の僻地 (新潮文庫)

貧困の僻地 (新潮文庫)貧困の僻地 (新潮文庫)
(2011/10/28)
曽野 綾子

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2014年の22冊目です。
著者の曽野綾子さんは、カトリック教徒で洗礼を受けられており、伝統的な保守思考の持ち主だと思います。
その考え方が、色濃く出ています。
「日本人よ、もっとしっかりしなさい。そんなことでどうするの」と叱られている感じがします。
小説よりエッセイのような短文の方が、作家の考え方がはっきり表れますね。
過激な発言もあり、議論を引き起こされたことも結構あるようです。
私も、全ての発言に賛成することはできませんが、、、。

著作は、マダガスカル、インド、コンゴの僻地と呼ばれる地域へ、
実際に足を運び体験したことを基に書かれています。
驚くのは、そのような場所に中高年になってから、出向かれているということです。
普通なら日本人が行かない場所へ、淡々と出向かれ責務を果たされています。

私の親の世代ですが、共感できる部分が結構あるのは、時代が数十年前までは、
過去から同じような価値観で流れてきからだと思います。
逆に言えば、ここ数十年で、人間の価値観とそれに基づく行動様式が、
様変わりしているということだと思います。
曰く、「今の日本の問題は、誰もが一斉に幼児化していることだ。」

また紹介されている聖書の一節に、自分の心情が重なります。

死生学を提唱しているアルフォンス・デーケン神父の言葉が紹介されていました。
「人間の最期に必要なのは許しと和解だ」と。う~ん、最期が来る前にそうありたい。

おわり

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『人間関係』

人間関係 (新潮新書)人間関係 (新潮新書)
(2013/04/17)
曽野 綾子

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2014年の10冊目です。

全14話から構成された、曽野綾子さんの人間関係における考え方が書かれています。
「新潮45」の掲載された「人間関係愚痴話」を改題してまとまられた新書です。

著者の価値観には、ある程度共感できるので、書かれている言葉が、抵抗なく入ってきました。
彼女は、私の親と同世代で戦前、戦後の社会を生きてくる中で培われた価値観があります。
そこに洗礼を受けたキリスト教徒という2つの世界観が混ざり合って独自の価値観を生み出しています。
キリスト教的教義に基づく生き方を主題に本を書かれている”渡辺和子”さんの世界観とは、一線を画しているように思います。

乱暴な言い方をすれば、人間関係は”諦観”の念からはじめるものといわれていると思います。

共感できた部分。
痛みは決して分かち合えないという。
若い時には、その価値の高さと高邁とも思える「痛みを分かち合う関係」へのあこがれが、
時に人間を背伸びさせる。それが”愛”の重要な表現の一つであると考えて。
私もいまでも背伸びしている節があるが、。

著者曰く「愛は礼を失せず」。
聖書「コリントの信徒への手紙一 十三章」より「(愛は)礼を失せず」とある。
すなわち神は、人間同士の愛のあるべき姿の中で「礼儀を失わないこと」を望まれているということ。
「礼節には愛が宿るということか。」


第四話 「心は過不足なくは伝わらない」
過不足なく心が伝わるなどということを諦めることだと著者はいう。
諦めはどんな場合にも有効な解決方法だ。
自分の命にせよ、不運にせよ、最初から少し諦めていれば深く絶望したり恨んだりすることもない。
絶望したり恨んだりするということは、まだ相手や自分の置かれている状況の改善にかなり期待している証拠なのである。
それでも懲りもせず何を作り渡したり、何かを書いて伝えたりしようとしているのは、
まだ私が希望を失っていないからかもしれない。
しばしば限られた範囲で、自分の想いがほとんど正確に伝えられたのではないかと思えた時があった。
また私もその人たちをかなり深く理解しているのではないかと自負して考える時もあった。
それは自分の人生でそんなに見られない貴重な経験だった。
それを可能にしたのは、私がその人を尊敬しながら好きだったからである。
恋ではないけれど好きだった人はいたのである。

おわり



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『中年以後』

中年以後 (光文社文庫)中年以後 (光文社文庫)
(2007/06)
曽野 綾子

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2014年の9冊目です。
曽野綾子のエッセイの一つです。
既に、著者の作品は何冊か読んでいるので(小説は読んだことが無いのですが)、
大体の価値観は理解できたうえで、ある部分は共感しながら読みました。

文中のどこかに書いてあったと思うが、中年の定義は、
確か30歳代後半から50歳代後半だったと思います。
ただ、現代は長寿社会で、元気な人が多いのでもっと後年まで中年というのかもしれない。
私などは中年の後半ですが、まだまだ小僧の部類かもしれません。

中年という人間にとって必ず訪れる時期を、
”得ることができるもの”、”失っていくもの”、”備えておくべきこと”、
”覚悟しておくこと”などの視点で書かれています。
その通りだと共感し、少し納得した気持ちになる考え方と、
その通りだと感じながらも、痛いとこ突いてくるなという考え方が、入り混じったものでした。
全体的には、私の価値観と大きくずれているところはありませんでした。
ただ著者が書いているような”達観した”価値観をもつ熟成には、ほど遠いと感じざる負えない。
人間として大人に成れるのは中年以降だと言われている。

最近の自分の心身の状態から最も共感できたのは次の部分です。
「病気が治りにくくなるということは、死に向いていることだ。
 それはかなしいことかもしれないが、誰の上にも一様に見舞う公平な運命である。」
「病気や体力の衰えが望ましいものであるわけない。しかし突然病気に襲われて
 自分の前に時には死に繋がるような壁が現れた時、多くの人は初めて肉体の消滅へ
 の道と引き換えに魂の完成に向かうのである。」

その他の琴線に触れた文章を紹介します。
○許しと受容の時
「中年は、老年と違って、体力も気力も充分に持ち合わせる中で、過去を許し、
 自分を傷つけた境遇や人を許す。かつて自分を傷つける凶器だと感じた運命を、
 自分を育てる肥料だったとさえ認識できる強さを持つのが、中年以後である。」


「青春はすばらしいものだ、と私は口先では迎合して時々そう言うこともあるのだが、
 よく考えてみると、内心では全くそう思っていない。私の感覚では、青春にはどこか
「ものほしげ」なところがある。進路も決まらず、異性の存在には敏感にぴりぴりし、
 途方もなく思い上がったり、やたに自信を失ったりしている。ところが我々は思い上
 がるほどの能力も、喪失するほどの自信や才能も、初めから持ってはいないのだから、
 そういう意気込み方は何となく気恥ずかしいというものだ。」

「可もなく不可もない会話で、友達などできるわけがないのである。私にとって、会話には、
 甘さも要るが辛さも必要だった。私は40歳を過ぎてからたくさんの友達ができたが、そ
 の理由は、かなり危険な会話をすることで、お互いの立場を確かめられたからだと思って
 いる。(略)心の奥底まで踏み込んで人間的な理解をしようというなら、こちらにも人間
 を観る眼ができていないと困る。」

■立ち去る年長者の章より~
「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、ご自分
 の所にやってきたので、座って教え始められた。そこへ、律法学者達やファリサイ派の人々が、
 姦通の現場でとらえられた女を連れてきて、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この
 女は姦通をしているときにつかまりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法のの
 中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか』(略)イエスは身を起こし
 て言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい』
 (略)これを聞いた者は年長者から始まって、1人また1人と立ち去ってしまい、イエスと、
 真ん中にいた女が残った。」(ヨハネによる福音書)
 今の日本人は、人を責めることと自分はいい人間です、という大合唱をすることは大好きで上手である。
 
 
 私自身もたくさんの罪を犯した者として、立ち去る日が遠くないと感じました。

おわり

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『言い残された言葉』

言い残された言葉 (光文社文庫)言い残された言葉 (光文社文庫)
(2010/11/11)
曽野 綾子

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曽野綾子さんのエッセーなどを時々読みますが、その考え方は、
”芯”のある覚悟のようなものを感じます。

曖昧な表現と意味もなく過激で一方的な意見が多いなかで、
多くのご自分の人生経験の中から紡ぎだされた価値観を感じます。

自分の目で確かめよ!一般的に言われている認識を疑え!
自分の認識の甘さを知れ!と言われているような気がします。

この思考のプロセスと経ずに口にする言葉は、無責任であると言われているようにも思います。

「雪の日の超ミニスカート」

雪の降る日にミニスカートをはいている女子は、襲われても半分責任はあるという、
同性が聞いたら激怒されそうなことも書かれています。思慮分別をしっかり持ちなさいということでしょう。
また同時に、女性であろうが男性であろうが、仕事に対する責任は同じであり。
それを果たすことが前提であるとも書かれています。

「真夜中のアンチ・エージング」

真夜中ふと目覚めてテレビをつけると、どこの局でもアンチ・エージングを謳った
テレビショッピングをやっているということを少々揶揄しておられるようですが、
「人は見た目が9割」というベストセラーになった本の感想として、「私もそう思います」と言われています。
作家などをされている方には、外見よりも中身と言う人も多いと思いますが、
その人の人格、性格、習慣、生活態度、自信のあるなし、いろんなものが外見に出ると言われています。
外見では人は分からないと言いますが、外見で判断され、ほとんどが間違っていないことも事実です。
外見とは、内面を表出させているものだから、外見を磨くことは内面を磨くことにもなるのだと思います。

彼女に考えの多くに共感できますが、私も同様に多くの人に対して発信できるかと言えば、やはり難しいですね。
これだけいろんなことに、はっきり自分の意見を持てること自体に感心しますが、
現実をしっかりみて自分の中に取り込んでいる生き方をしてないな~あ、
人の意見や考えを借りて生きてきていることを猛省します。

おわり

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プロフィール

トホトホWALKER

Author:トホトホWALKER
性別 男性(家族有)

職業 サラリーマン
居住地 西日本の地方都市

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